私と大滝詠一さん
年末に、大滝詠一さんが亡くなった。
もう、本気のナイアガラーでなくなって何年もたつけど、
メーリングリストだけは登録していて、そこで知った。
Twitterのタイムラインで見ていたら、
最初の一報ではただ「亡くなった」だったけど、
二報めで「りんごを食べて亡くなった」三報めで「解離性動脈瘤」だって書いてあった。
嘘だ!!ってショックだったけど、
「りんごを食べていて」って聞いたらなんだか笑えてきて、
最後までなんてチャーミングなんだろう、
悲しむよりなんかすることあるなって思えたんだった。
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私が大滝さんを知ったのは1990年ころなので、
もうゴーゴーナイアガラもやってなかったし、1年に1度新春放談を聞くのが楽しみなぐらいだったんだけど、
それでも、同じ時代を生きているって、幸せだなあって思っていた。
高校生のとき、流して聞いてたはっぴいえんどライブで「かくれんぼ」がかかったときの衝撃。
ファーストから順に聞いてって、ナイアガラ・ムーンを聞いたときの大衝撃!
ナイアガラーになったのはムーンを聞いてから。断然ノベルティ派です。
1997年に渡辺満里奈ちゃんが大滝さんが作った曲を歌ったとき「大変でした。もう2度と一緒にレコーディングしたくないです」的なことを言っていて、ちょーうらやましい、めっちゃ大変かもしれないけどそれすごい貴重なことだから!満里奈ちゃんめ!ってじたばたしたこと。
千葉に住んでいたとき、岩手県盛岡に旅行したら駅ビルで「恋するカレン」がかかって「呼ばれてる…!」って涙目になったこと、
ほんとに次の年岩手に転勤になったこと、
そして岩手県に住んでいたとき、県内の観光地で大滝さんにすごくよく似た人を見かけて、一緒に居た息子さんぽい人がどうみても若すぎるので絶対違うんだけど、違うんだけど!もしかしたらこうやってここに居たこともあるのかもしれないって思ったこと。
松本隆さんのツイート。
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。 ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。 持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
眠るような顔のそばに花を置きながら、 ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。 だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。 なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。 苦く美しい青春をありがとう。
— 松本 隆 (@takashi_mtmt) 2014, 1月 4
こんどカラオケでさらシベ(さらばシベリア鉄道)歌うときは、大滝さんバージョンで歌うよ。
ファザコンって言われたっていい、父親と同じ年だし。
大滝さんの声が、作る空気が、大好きでした。
ご冥福をお祈りいたします。