大人になるということ
読んだ。
子どもをもつもたないに関わらず、否応なく大人へと脱皮させられる契機が人に訪れることに私は気付いた。それは、自分の親が老いて死ぬ時だ。
そのことを通して、子どもの立場であるその人は自分の親を、親子という関係性とは別のところで、一人の人間、あるいは一人の男/女として、改めて認識し直す。そして、老いてボケた親が自分たちの世界とは異なる世界に入っていき、やがてはあの世に行くのを見守り、見送る。
自分の親が死んでから、親も一人の人間で、試行錯誤して生きていたんだなーって思うのは、しみじみするよ。
たとえば、子ども(おれだ)が小さい時、夫(おれにとっては父)が仕事からなかなか帰ってこなくて切れて家出して、伯母に子ども(おれだ)を預けて夜飲みにいっちゃったことがあったとか。
同居のばーちゃんと折り合いが悪くて具合悪くなって、ハルシオン飲んでたとか、そういう話。
ほんわかするね。完璧じゃなかったなんて、知らなかったもん。
生きていれば、親は絶対的な存在だし、ずっと生きているような気がするでしょ。
でも、先に生まれた人から死ぬのは順番で、当たり前のことだし、
みんなが死ぬんだったら親だっていつかは死ぬんだよ。
それが早いか遅いかっていうだけで。
そういうことがわかるだけで、ぐっと人は成長すると思う。
だって自分もいずれは死ぬってことでしょ…
ちょっと前にここでも書いたけど
私は、自分の人生を「自分で」生きられるようになったのは、
母が亡くなってからだと思っている。
特に毒母とかではなかったんだけど、影響力は絶大だった。
そういうことだよ。そういうことね。
今は、父の母、つまりばーちゃんが90歳なので、
今のうちに聞ける話をどんどん聞いたりしている。
満州で働いてたときに2重帳簿の付け方を習った話とか、
引き上げてきたときに、札幌駅で食べたかぼちゃがすごくおいしかった話とか、
あと、まあ、浮気したとかしないとか、前の奥さんがどうだったとか、
そういう話を。
同じ話を何回もするし、都合悪いところは話してくれないけど、
(そこは他の人の話で補完するんだ)
面白いよー。
死んだら聞けないからね。
もしお正月に親戚に会う機会があったら、
フィールドワークだと思って聞いてみてよ。
面白いから。
というか人生ぜんぶフィールドワークだと思えば、
けっこう楽しいよ…!